恐怖の両腕切断から 身障者の光へー 大石順教尼 24話
嘆くな不幸を 泣くな不運を この婦人を見よ
上の写真は惨劇二日前 下は旅芸人の一員として巡業中のものとある。
狂気の義父に両腕を肩から斬られた17才の乙女に明日はあるのか??まして、明治の日露戦争、真っ最中の頃である、その頃の医学で良く助かったとも言えるが、金持ちでもなく、日舞で身を立て、いずれ結婚も考えていただろうに、踊りで両腕がないのでは先は闇であろう・・
当時の医療費は高かったと思うが、大阪、堀江の六人斬りは有名で唯一生き残った娘に、戦場からも義捐金が集まり、そちらは大丈夫だったとある。
後年、大石順教尼として多くの障害者の光となられた方だが、五体満足の健常者が、救いを求め、悩みや不運を話すと、両腕のない私に何を求めるの?どうしてもと言うなら、樹に両腕を後ろ手に縛られて、三日間、そのままで暮らしなさいと・・厳しい人生を過ごして来た順教尼にとって、五体満足な人の不幸や不運は甘えとしか思われないのでしょうーー
中村久子師も甘えには厳しい人であった、順教尼の方が年上であったが、同じ時代に生まれ育ち過酷な環境を生き抜いて来られたお二人に、接点がなかったのは不思議である。
御二人共、自分の人生で精一杯で会う必要がなかったのかも知れませんが。
明治という、差別の濃い時代に早くから、障害者の道を歩んだ久子師と、踊りの師匠としての道が開けていたのを花も恥じらう17歳でどん底に突き落とされた順教尼と、どちらが過酷か誰が判定出来ようか?
御二人は生活の為 見世物一座に出た事、書を口で書くことを習ったのも同じであるが、順教尼は芸術的絵画もやられた「御主人だった人の影響か・・夫は画家だった」、その後継者が今、口と足で絵を描く芸術家として活躍しておられる。
順教尼もヘレンケラーに遭われている、ヘレン女史をして世界の奇蹟と称賛されたとありますがヘレンケラーを驚嘆させた日本婦人が二人もいたことに、日本人として誇りに思います。
順教尼の一生は耐え忍ぶことの連続であり、順教尼も忍ぶという文字がお好きで、書き遺されておられる、死刑になる前に、監獄に面会に行き、義父を許し、義父の罪が軽くなるなら何でもしますと言われたのには、頭が下がります。
罪を憎んで人を憎まずを実行するのは容易でないのは、多くの事件や事故の被害者たちを見ればおわかりでしょうー以前にバスハイジャック事件で、少年に牛刀のような刃物で顔と首を切られ、まだ、生きていたのかと罵声を浴びせられて助かった御婦人がおられましたが、その後、収容所に会いに行かれたのを 何かの記事を読んで、偉い人だと感心したのを覚えております。憎さと恐怖で中々、こうはいきませんね。
こおろぎの泣く夜なりけり父母とわれ ひざをまじえて行く末語る
秋深く、親子三人、涙を流しながら黙って娘の行く末を思う夜、コオロギの鳴く声だけが、泣いているかのように響く情景を 順教尼が唄ったものですが、涙の合唱でもあったでしょうーー
順教尼が入院していた病院の婦長さんも、素晴らしい言葉を、まだ、若かった彼女に残しておられる、実に魂に響く言葉の数々であるが、それを受け止めた順教尼も偉く、何度も自殺を考えたのを踏みとどまった要因の一つにはなったでありましょうー今、世に看護婦長は多くいるがこれだけの婦長は、そうはいまい、明治時代だから、余計に光り輝く。
婦長の言われた事を要約すると、あなたの命を助けたのは院長やの他の力もありましょうが、そればかりではない、あなたはこれから、なみなみならぬ辛く苦しく悲しい年月がありましょう、人生の荊の険しい山や谷があるでしょうー しかし、あなたなれば、この辛い使命を負うだけの覚悟が持てると神仏が思し召して、助からぬ命を助けて下さったのです、私の言いましたことをいついつまでも忘れずにいてくださいよと、又この後、何か私に出来る
事あらば、いつでもご相談して下さいと。
こんな言葉で送りだされた、順教尼ではあったが、これほどの人でも人生は厳しく辛く、自殺を何度も考えたと
あります、時は明治 今でも絶望的になるほどの苦痛を、精神的にも肉体的に負ったを若き乙女に私は言葉も
出ない、辛いとか苦しいとかはこの人を前にして言える人生体験は私にはない。
順教尼は、踊り一筋で、学問を習ったことはなく、字を覚えることから始めて、書くことは小鳥に教わったとある、口を使い文字を書き、絵を描いた。愛する夫や子供と別れて、仏門の道に入られた。
私は春秋社のセールスマンではない、たまたま、良い本がこの出版社あったというだけである。
されど、良書を世に出した出版社はそれだけで評価されるべきで、こういう出版社が潰れるようでは日本の未来は暗い・・良い本は金銭では計れない・・春秋社に栄えあれ
無手の法悦ー大石順教尼 春秋社 今は絶版かも知れませんが、他の本があるでしょう
私が何年か前に、三冊買ってすぐに絶版になりました、、それ以来、良いと思った本はすぐに
買うことに決めています。
この無手の法悦の中の写真に、順教尼の教え子の少年が載っていましたが、今は口と足で描く芸術家協会の
会員となられ、立派な作品を出展され感動しました、私はこの協会の会員の安達巌氏の作品が好きでしたが
惜しくも亡くなられました。この協会の作品には、これが、足で描かれたとはとか?、口でとか?驚かされる
ものがあります、お気持でも応援して下されば大変、嬉しいです。
今の私は、観光にはほとんど、興味はありませんが、日本で三か所ばかり、存命中に行きたい場所がありまして、順教尼の腕塚もある高野山はそのうちの一つですが、まだ、魂が未熟なまま、行きましても、ただ、通過するだけに終わりますので、もう少し先になると思います。
足と口で描く芸術協会 http//www.mfpa.co.jp tel 03-3267-2881
上の写真は惨劇二日前 下は旅芸人の一員として巡業中のものとある。
狂気の義父に両腕を肩から斬られた17才の乙女に明日はあるのか??まして、明治の日露戦争、真っ最中の頃である、その頃の医学で良く助かったとも言えるが、金持ちでもなく、日舞で身を立て、いずれ結婚も考えていただろうに、踊りで両腕がないのでは先は闇であろう・・
当時の医療費は高かったと思うが、大阪、堀江の六人斬りは有名で唯一生き残った娘に、戦場からも義捐金が集まり、そちらは大丈夫だったとある。
後年、大石順教尼として多くの障害者の光となられた方だが、五体満足の健常者が、救いを求め、悩みや不運を話すと、両腕のない私に何を求めるの?どうしてもと言うなら、樹に両腕を後ろ手に縛られて、三日間、そのままで暮らしなさいと・・厳しい人生を過ごして来た順教尼にとって、五体満足な人の不幸や不運は甘えとしか思われないのでしょうーー
中村久子師も甘えには厳しい人であった、順教尼の方が年上であったが、同じ時代に生まれ育ち過酷な環境を生き抜いて来られたお二人に、接点がなかったのは不思議である。
御二人共、自分の人生で精一杯で会う必要がなかったのかも知れませんが。
明治という、差別の濃い時代に早くから、障害者の道を歩んだ久子師と、踊りの師匠としての道が開けていたのを花も恥じらう17歳でどん底に突き落とされた順教尼と、どちらが過酷か誰が判定出来ようか?
御二人は生活の為 見世物一座に出た事、書を口で書くことを習ったのも同じであるが、順教尼は芸術的絵画もやられた「御主人だった人の影響か・・夫は画家だった」、その後継者が今、口と足で絵を描く芸術家として活躍しておられる。
順教尼もヘレンケラーに遭われている、ヘレン女史をして世界の奇蹟と称賛されたとありますがヘレンケラーを驚嘆させた日本婦人が二人もいたことに、日本人として誇りに思います。
順教尼の一生は耐え忍ぶことの連続であり、順教尼も忍ぶという文字がお好きで、書き遺されておられる、死刑になる前に、監獄に面会に行き、義父を許し、義父の罪が軽くなるなら何でもしますと言われたのには、頭が下がります。
罪を憎んで人を憎まずを実行するのは容易でないのは、多くの事件や事故の被害者たちを見ればおわかりでしょうー以前にバスハイジャック事件で、少年に牛刀のような刃物で顔と首を切られ、まだ、生きていたのかと罵声を浴びせられて助かった御婦人がおられましたが、その後、収容所に会いに行かれたのを 何かの記事を読んで、偉い人だと感心したのを覚えております。憎さと恐怖で中々、こうはいきませんね。
こおろぎの泣く夜なりけり父母とわれ ひざをまじえて行く末語る
秋深く、親子三人、涙を流しながら黙って娘の行く末を思う夜、コオロギの鳴く声だけが、泣いているかのように響く情景を 順教尼が唄ったものですが、涙の合唱でもあったでしょうーー
順教尼が入院していた病院の婦長さんも、素晴らしい言葉を、まだ、若かった彼女に残しておられる、実に魂に響く言葉の数々であるが、それを受け止めた順教尼も偉く、何度も自殺を考えたのを踏みとどまった要因の一つにはなったでありましょうー今、世に看護婦長は多くいるがこれだけの婦長は、そうはいまい、明治時代だから、余計に光り輝く。
婦長の言われた事を要約すると、あなたの命を助けたのは院長やの他の力もありましょうが、そればかりではない、あなたはこれから、なみなみならぬ辛く苦しく悲しい年月がありましょう、人生の荊の険しい山や谷があるでしょうー しかし、あなたなれば、この辛い使命を負うだけの覚悟が持てると神仏が思し召して、助からぬ命を助けて下さったのです、私の言いましたことをいついつまでも忘れずにいてくださいよと、又この後、何か私に出来る
事あらば、いつでもご相談して下さいと。
こんな言葉で送りだされた、順教尼ではあったが、これほどの人でも人生は厳しく辛く、自殺を何度も考えたと
あります、時は明治 今でも絶望的になるほどの苦痛を、精神的にも肉体的に負ったを若き乙女に私は言葉も
出ない、辛いとか苦しいとかはこの人を前にして言える人生体験は私にはない。
順教尼は、踊り一筋で、学問を習ったことはなく、字を覚えることから始めて、書くことは小鳥に教わったとある、口を使い文字を書き、絵を描いた。愛する夫や子供と別れて、仏門の道に入られた。
私は春秋社のセールスマンではない、たまたま、良い本がこの出版社あったというだけである。
されど、良書を世に出した出版社はそれだけで評価されるべきで、こういう出版社が潰れるようでは日本の未来は暗い・・良い本は金銭では計れない・・春秋社に栄えあれ
無手の法悦ー大石順教尼 春秋社 今は絶版かも知れませんが、他の本があるでしょう
私が何年か前に、三冊買ってすぐに絶版になりました、、それ以来、良いと思った本はすぐに
買うことに決めています。
この無手の法悦の中の写真に、順教尼の教え子の少年が載っていましたが、今は口と足で描く芸術家協会の
会員となられ、立派な作品を出展され感動しました、私はこの協会の会員の安達巌氏の作品が好きでしたが
惜しくも亡くなられました。この協会の作品には、これが、足で描かれたとはとか?、口でとか?驚かされる
ものがあります、お気持でも応援して下されば大変、嬉しいです。
今の私は、観光にはほとんど、興味はありませんが、日本で三か所ばかり、存命中に行きたい場所がありまして、順教尼の腕塚もある高野山はそのうちの一つですが、まだ、魂が未熟なまま、行きましても、ただ、通過するだけに終わりますので、もう少し先になると思います。
足と口で描く芸術協会 http//www.mfpa.co.jp tel 03-3267-2881
この記事へのコメント
今 思えば小さい頃に口に筆をくわえ字を書いてる順教さんの姿は記憶に有りましたが、すっかり忘れていました。
仏門に入ったという事は夫、子供にだけに愛を注ぐのでは無く万人に愛を注ぐ為だったのかも知れませんね。
まるで生き神様です。良く和製マザーテレサと言われる様ですが僕には順教さんは、それ以上の人と思います。
今の日本人だけでは無く世界の人間の精神が病んでいるように感じます、もっと順教さんを知って欲しい、そして眼を覚まして欲しいです。
我欲に生きてきた私には、恥ずかしくて傍にも寄れない
方ですが、順教尼の千分の一でも紹介出来たでしょうか
人間、土壇場にならないと善悪はわからず、苦難の果てにたどりついた順教尼の心境になるには、私のような凡俗では千年はかかるでしょうーー
来年は心が晴れるような年になって欲しい・
両手がなくても最高の人生を送られた人のように
コペニ様へ
マアいいかとなりますね。
かって、名もなく貧しく美しくという題名の映画(小林圭樹
高峰秀子主演」がありましたが、順教尼はその通りでノーベル賞も文化勲章も霞んでしまう人で、私は名もなく貧しくまでは同じなのですが、美とは程遠い存在ですが、そして山あり谷ありというより谷の方が多かった人生で、映画
フーテンの寅さんよりひどかった時もありましたが、人を
恨んだり世の中のせいにした事は一度もないですね。ただ
忍耐はあれど、感謝はなかったです。今は何もなくても
感謝ですね、自分で動いて考えれる自由、他に何を望むや
やたら勲章を欲しがり自慢する宗教指導者がいましたが、
棺桶まで勲章で飾るのかなーーーー